橋爪久美子小品展のお知らせ
関西方面の皆さまへ
Flip-flop cafe Kobe で7月14〜29日(火曜日定休日)展覧会をいたします。
イタリア製のお洒落な額付きのミニアチュールの作品を中心に、0〜6号の日本画や銅版画も展示いたします。
小さくても内容はぎっしり詰まったものだと思います。
どうか御高覧下さいますようお願い申し上げます。
個展会場のFlip Flopさんは駅から少し遠くてバスかタクシーになります。
お車で来られるのが便利かと思います。数台分の駐車場があります。そこが一杯でしたら道路の脇にも駐車できるそうです。
それにもかかわらずいつもお客様が一杯です。一度行ったらファンになる素敵なカフェです。
オーナーがインテリアデザイナーで洒落た店づくりで、2階がギャラリーやイベント会場です。
ゆったりと美しい景色を眺めながら、美味しいランチとやケーキが味わえます。
看板猫がいます。
ホームページ↓↓↓
*橋爪久美子は7月14、15、16日と28、29日に在廊します。
他の日はおりませんので御入用の方はお店の方に仰っていただければと思います。
*21日(土)の夜はライブコンサートが行われるそうですので、準備等で16:00ぐらいからギャラリーは入れなくなります。宜しくお願い申し上げます。
*展覧会最終日の29日は16:30までとなっております。
*お店の営業は10:00〜18:30(最終オーダーは18:00まで)
*火曜日は定休日となっております。
皆さまのお越しを楽しみにお待ち申し上げております。
セバスチャン・サルガド GENESI (創世記)
先日世界的写真家セバスチャン・サルガド氏*のGENESI 展に行ってきた。
*詳しい経歴についてはここ↓↓
GENESIはイタリア語、英語ではgenesis,日本語では『創世記』という意味である。
『創世記』は皆様も良くご存知の旧約聖書の中の最初の書である。
その「天地創造」の部分を引用する。
始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。闇黒が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が、「光あれよ」と言われると、光が出来た。神は光を見てよしとされた。神は光と暗黒との混合を分け、神は光を昼と呼び、暗黒を夜と呼ばれた。…
そこで神が、「大水の間に一つの大空が出来て、大水と大水の間を分けよ」と言われると、そのようになった。神は大空を造り、大空の下の大水と大空の上の大水とを分けられた。神は大空を天と呼ばれた。神はそれを見てよしとされた。…
そこで神が、「天の下の大水は一つのところに集まり、乾いた所が現れよ」と言われると、そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はそれを見てよしとされた。
そこで神が、「水には生き物が群生し、鳥は地の上に、天の大空の面を飛べよ」と言われると、そのようになった。神は大きな海の怪物と水の中に群生するすべての種類の泳ぎまわる生きもの、さらに翼あるすべての種類の鳥を創造された。そこで神は彼らを祝福して言われた、「ふえかつ増して海の水に満ちよ。また鳥は地に増せよ」と。…
そこで神が「地は各種の生きもの、各種の家畜と這うものと地の獣を生ぜよ」と言われると、そのようになった。神は各種の地の獣と、各種の家畜とすべての種類の地に這うものとを造られた。神はそれを見てよしとされた。…
一つの河がエデンから発し、園を潤し、そこから分かれて四つの源流となる。第一の名はピションで、ハビラの全地をめぐるもの。ハビラの地には金が算出する。その地の金はよい。そこにまたブドラクの樹脂と紅玉髄が出る。第二の河の名はギホンで、それはクシの全地をめぐるもの。第三の河の名はヒデケルで、それはアッシリヤの東を流れるもの。第四の河、それはユーフラテスである。…
この創世記の文は私が勝手にサルガドの写真に引っ付けたものである。
私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもない。しかし、これらの数百枚の写真を観て私は粛然とし、畏敬の念を持った。
私達が生きて見ている現実世界というのは地球のほんの僅か一部分なのである。それなのに全て分かったつもりになっているで、支配しているつもりになっている。なんというエゴイズムだろうか?
「人間主義(ヒューマニズム)」という言葉がある。中世時代の価値観の中心である「神」の軛から解放されて、「人間」こそ、その中心であると宣言したものである。しかしその人間とは何か?私達は何処へ行こうとしているか?と絶えず内省していかなければ、そのエゴイズムは暴走する。浅薄な人間主義はそういう危険性を孕んでいる。
この二つの動画を是非ともご覧になって頂きたいと思います。
サルガドの行動の原点と今私達が置かれている状況が分かります。
今なぜ聖フランチェスコなのか?
およそ数多の聖人の中で、「アッシジの聖フランチェスコ」ほどイタリアで愛され親しまれている聖人はいないだろう。
その伝説は今も多くの人々に語られ映画やドラマにもなっている。
注)日本ではフランシスコと表記されることが多いが、ここではイタリア語のままフランチェスコとしておく。
聖フランチェスコ(本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone、1182年 7月5日 - 1226年10月3日)
はイタリアのアッシジで生まれ、現在その地に総本山を置くフランチェスコ会の開祖である。
十字架にかけられたときのキリストと同じ傷(聖痕)が現れたということで、その死から2年後に列聖された。
「聖痕を受けるフランチェスコ」(画:ジョット)
そういう奇跡は別として、彼は一切の財産を持つことを放棄し清貧を貫き、貧しい人や病人に仕えた。
富を蓄えるとそれを守るための武力が必要となる。それが彼の持論だった。
小さくされたものの中に尊厳を見いだし、自然と対話し、一人の人間の中に小さな宇宙を見た。
そんな彼には人間どころか動物、自然でさえ傷つけることは考えられなかったのだ。
そんなフランチェスコの生き方は今も多くの人々から共感を得ている。
欲望とエゴの肥大化した物質主義の現代社会においてこそ省みたいと思う。
「着物を返すフランチェスコ」(画:ジョット)
着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコ。
皮肉なことにフランチェスコの死後、大きくなった教団はその維持の為に財産を持つことを許した。
そして開祖がいれば決して許可しなかったであろう壮麗な聖フランチェスコ大聖堂を建設する。
その大聖堂上堂の中にある一連のフレスコ画が、画聖ジョットの筆による、かの有名な『聖フランチェスコの生涯』である。
『小鳥に説教する聖フランチェスコ』 (画:ジョット)
近年カトリック教会にもこの名前を拝した法王が誕生した。カトリック史上初めてのことである。
フランチェスコ法王はフランチェスコ会ではなくイエズス会の出身である。
その法王があえてその名前を選んだということに彼の信仰のメッセージを感じる。
そして昨年にはその法王が先頭に立ってアッシジの大聖堂で異なる宗教者の代表が世界中から集まり、
世界平和の為に連帯することを決め祈りを捧げた。
そして10月4日は聖フランチェスコの祝日。
全国のフランチェスコ、フランチェスカさんがその意義が分かる人も気にしない人もお祝いをするのだ。
ミッキー・ロークがフランチェスコを演じています。人間としてのフランチェスコに迫った秀作。
(残念ながらイタリア語版です。)