オリジナル性ということ(番外編)
前回チョイ出ししました、アンジェロ・ブランドゥアルディについてです。
非常に面白いミュージシャンですので、掘り下げていきたいと思います。
ヨーロッパ中世・ルネサンス音楽のリズムやメロディーを彼の感性で蘇らしています。
それがまた私にはとても新しく聞こえるのです。
イタリアでは1970年代から活躍していますが、残念ながら日本では馴染みがないようです。
で、クリスマスということもあり、このアルバムをご紹介します。
2000年に発表されたアルバム"L`infinitamente piccolo "(限りなく小きもの)
イタリア・アッシジの聖フランチェスコ(1181-1226)の生涯を題材に制作されました。
(聖フランチェスコについては別の機会に詳しく言及していきたいと思います。)
アルバムのジャケットの表紙 (ジョットの"小鳥に説教する聖フランチェスコ")
このアルバムが生まれた経緯について、ブランドゥアルディは大変ユーモラスに語っています。
(以下、橋爪の意訳です。) ↓
「ある日、フランチェスコ会の僧たちがやってきて
聖フランチェスコの生涯を元に曲を作って欲しいと言われた。
彼は答えた。
私が作る音楽はこういうタイプの音楽ではないし、ましてや信仰深い人間でないので。。
いえ、だからこそあなたにお願いするのです。
それに私は罪深い人間です。どうして私にこの仕事を依頼されるのですか?
そうすると彼らはこう答えた。
なぜなら、神は常に劣っている者を選ばれるからです。(聴衆が大爆笑)」
↑これはちょっとカトリックの文化が無かったら分かりずらいジョークかもしれません。。
でもとっても大切なことを言ってます。
決してバカにして言っていることではないのです。
それからこのタイトルの"限りなく小きもの"について。(私、↓この言葉にしびれました!)
「一枚の紙がある。それを半分に破る。そしてまた半分に、また半分に。。。
際限なく破って、ひとつの一片は限りなく小さくなるが、一片の紙であることに変わりはない。
そのように森羅万象、宇宙は外に拡がるのではなく、私たちの中に内包されるのです。。
これが、私が800年前の聖フランチェスコから学んだことなのです。」
同名のコンサートから。
アルバムに収録されている曲のさわりの部分だけに編集されています。
1500ページもの文献を読み込んでの音楽づくり。
作詞はいつも連れ合いの方が担当しています。シンプルで美しいです。
フランチェスコ会の僧侶の方々きっと喜ばれたことでしょうね。
自分の中で築き上げた感性は、ことあるごとに自由に取り出せる。それがオリジナル性ではないか。
もちろん常に磨き上げなければいけないが。
ブランドゥアルディの音楽から、そんなことを考えたりしました。
ジョット・ディ・ボンドーネ 「東方三博士の礼拝」 1305-10年
この偉大なる画家については、また折々に言及していきます。