憶い出す日
1月27日はイタリアでは "giorno della memoria "です。
直訳しますと「記憶の日」。
イタリアだけかと思って調べてみましたら、国連広報のサイトに以下のように出ていました。
『2005年11月1日、国連総会は、ユダヤ人の3分の1、そして無数のマイノリティーの人々が殺害されたホロコーストを再確認し、憎悪、敵対感情、人種差別、偏見がもつ危険性を永遠に人々に警告することを目的に、 総会決議60/7を採択しました。 この決議は、ユダヤ人強制収容所のアウシュビッツが解放された1月27日を 「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と定めました。』
この日はデモストレーションや展示などがイタリア各地で行われます。
そして子供たちはこの時期になると学校でこれまでかというぐらい この事実を学ぶのです。
この授業で気分が悪くなる子もいるほどです。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃 - 1516年)
私が凄いなと思うのは、当時ドイツがもっとも民主的と言われていたワイマール憲法を持ちながら、どうしてこんな狂気に走ったのか、詳細に検証し、そして責任を徹底的に追及した。絶対に曖昧にしなかった事です。
ハンナ・アーレントがナチスの官僚アイヒマンを観察して「悪の凡庸さ」と表現したように、ユダヤ人虐殺は思考停止した普通の平凡な人間によって支えられたことは周知の通りです。
では実際私たちの生活の中で、思考停止するとはどういうことなのでしょうか?
巷に流れる決まり文句や、感動する美しい話というものには要注意だと思うのです。そういうものに反応しているうちに次第に自分で考えることを放棄してはいないだろうか?
そのためには先ず「ものごとの表面に心を奪われないで、立ち止まり、自分自身の言葉で考える」
ことから始めたいと思うのです。
というわけで…
私には、ヴァイオリニストはユダヤ系でないと!という頑なこだわりがあります。
(実際、殆どの優れたヴァイオリニストはユダヤ系ですが。)
「屋根の上のヴァイオリン弾き」より アイザック・スターン演奏
私の父は、子供の私にディズニー映画なぞ連れて行かずに、これとか「デルスウザーラ」など渋い映画ばかり観に連れて行ってくれました。その時は?でしたが、今でも色々なシーンはっきり憶えてます。
そしてやっぱりこれでしょう。
この映画への感想を言葉にする能力は私にはありません。