今なぜ聖フランチェスコなのか?
およそ数多の聖人の中で、「アッシジの聖フランチェスコ」ほどイタリアで愛され親しまれている聖人はいないだろう。
その伝説は今も多くの人々に語られ映画やドラマにもなっている。
注)日本ではフランシスコと表記されることが多いが、ここではイタリア語のままフランチェスコとしておく。
聖フランチェスコ(本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone、1182年 7月5日 - 1226年10月3日)
はイタリアのアッシジで生まれ、現在その地に総本山を置くフランチェスコ会の開祖である。
十字架にかけられたときのキリストと同じ傷(聖痕)が現れたということで、その死から2年後に列聖された。
「聖痕を受けるフランチェスコ」(画:ジョット)
そういう奇跡は別として、彼は一切の財産を持つことを放棄し清貧を貫き、貧しい人や病人に仕えた。
富を蓄えるとそれを守るための武力が必要となる。それが彼の持論だった。
小さくされたものの中に尊厳を見いだし、自然と対話し、一人の人間の中に小さな宇宙を見た。
そんな彼には人間どころか動物、自然でさえ傷つけることは考えられなかったのだ。
そんなフランチェスコの生き方は今も多くの人々から共感を得ている。
欲望とエゴの肥大化した物質主義の現代社会においてこそ省みたいと思う。
「着物を返すフランチェスコ」(画:ジョット)
着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコ。
皮肉なことにフランチェスコの死後、大きくなった教団はその維持の為に財産を持つことを許した。
そして開祖がいれば決して許可しなかったであろう壮麗な聖フランチェスコ大聖堂を建設する。
その大聖堂上堂の中にある一連のフレスコ画が、画聖ジョットの筆による、かの有名な『聖フランチェスコの生涯』である。
『小鳥に説教する聖フランチェスコ』 (画:ジョット)
近年カトリック教会にもこの名前を拝した法王が誕生した。カトリック史上初めてのことである。
フランチェスコ法王はフランチェスコ会ではなくイエズス会の出身である。
その法王があえてその名前を選んだということに彼の信仰のメッセージを感じる。
そして昨年にはその法王が先頭に立ってアッシジの大聖堂で異なる宗教者の代表が世界中から集まり、
世界平和の為に連帯することを決め祈りを捧げた。
そして10月4日は聖フランチェスコの祝日。
全国のフランチェスコ、フランチェスカさんがその意義が分かる人も気にしない人もお祝いをするのだ。
ミッキー・ロークがフランチェスコを演じています。人間としてのフランチェスコに迫った秀作。
(残念ながらイタリア語版です。)