トスカーナから離れてわかったこと⑵
確か、特急か急行列車で早朝ミラノを出発し、深夜にシチリア島のシラクサに到着するというのがあった。
まさにイタリア半島を千数百キロも南下する行程である。
それをフィレンツェーサレルノ間を良く利用したものだが、それだけでも南北の格差を実感できる。
フィレンツェを出発すると、しばらく美しいトスカーナの緩やかな起伏のある牧歌的な風景が広がっている。
数々のルネサンスの画家に愛された風景である。
徐々にその風景が険しく、雰囲気が変わってくるのだが、
そうなるとそこはもうラツィオ州である。
ローマ・テルミニ駅に着くと異様に長い停車時間があり、
それまで乗っていたビジネスマン風の人がみんな降りてしまって、代わりに大きな旅行鞄を持ったおじさんおばさんや、里帰りなのか?学生やミリタリー風のお兄さん達がのりこんでくる。
イタリア語よりもナポリ方言を話す人の方が多くなり、私などはさっぱり解らない。
そしてヴェスヴィオ火山の勇姿が見えてくると、間もなくナポリである。
それからは火山灰が蓄積されてできたのではないかと思うような、
緑の少ない土地にスラムのような街が見え隠れしながら進み、長いトンネルを抜けるとサレルノに到着する。
「ローマから南はアフリカ」と揶揄されるが、その通りインフラの遅れがローマを過ぎると顕著に感じられる。
マフィア(ナポリではカモッラと呼ぶ)のせいなどと言われるが、
それだけでなく、問題は複合的に重なって、根が深いものだと感じる。
「北で稼いで南で使う。」とも言われるが、私はそれは違うと言いたい。
政府がお金を使うのは、やはり経済の発展した北や中部で、南は後回しなのである。その例はあげればきりがない。
そういう状況で人々は仕方なく、ここから去って北ヨーロッパやアメリカへ渡って行った。
今もここにいる人は、諦めと哀しみを心の奥深くに纏って暮らしているのである。
日本では公開されていないと思うが、フランコ・ブルザーティ監督、ニーノ・マンフレディ主演の『パンとチョコラータ』という映画が、まさにその南イタリア人の心を表現していた、忘れられない良い映画だった。
岩波ホールでもやらないのだろうか?
『パンとチョコラータ』pane e cioccolata 1974年(昭和49年)第24回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、また同年ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞で欧州ダヴィド賞を受賞、翌1975年(昭和50年)にはナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞、1978年(昭和53年)には第44回ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞、同年の第3回セザール賞では最優秀外国映画賞にノミネートされる。
主人公ニーノが出稼ぎ先のスイスで、自分のアイデンティティを否定しながら、生きようとする葛藤を自虐的にコメディーに描いている。人生で一度でも挫折を経験した者なら、このニーノに共感し、泣き、笑うだろう。
つづく。