シリーズ「TANZAKU」
10年程前に東京アメリカンクラブというところで個展をさせていただいた時に
何か日本的なもの、(一応私の作品は日本画なのですが、そう認識されていない。w)を応用することが出来ないか?と考案したのが、このシリーズです。
短冊は書に使うものなので、あまり塗り重ねることができないのですが、それがかえって良かったかもしれません。
普段は作品を何回も寝かせながら書き込んでいくのですが、これは一気に描き上げました。
問題は額縁をどうするか?なのです。
既製の短冊用額縁は純和風のものがほとんど。
しかたなく版画用額縁を変型で使用しましたが、次回はもう少し工夫をしたいと思います。
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子供達のための「魔笛」
子供だからといって、ただ幼稚で内容の乏しいものを与えるのは彼らに失礼だと思います。
ヨーロッパでは一流の芸術に触れることのできる機会があります。
成熟した文化を受け入れる土壌を作るのは私達の責任ではないでしょうか。
このオペラ「魔笛」は元々モーツァルトが大衆向けに創ったので、内容も楽しめるものとなっています。
しかし、そのアリア一つ一つのなんと美しいことか。
絵画は解剖学から始まる。
イタリアではヌードデッサンが全ての絵画の基礎となる。
私が学んだAccademia di Belle Arti (国立美術学院)では、たとえ人物画を描かない人、そして具象画でなくて現代アート・抽象画を制作する人でも最初は実技の授業でヌードデッサンを繰り返し行わせる。
どんなに優秀でもすでに経験があっても関係ない。
それはあたかもスポーツ選手が基礎トレーニングをするようなものなのだ。ヌードデッサンが上手く描けないものは何をさせてもそれが作品に拙く反映されるという。
もちろん色々な考え方があると思う。だがイタリアのアカデミーな美術教育とはそういうもので、それがアカデミズムと批判される所以でもあるのだ。
そして更に重要な点はそれを「解剖学」という理論で裏付けることである。
解剖学の授業はフィレンツェの美術学院ではかなりの比重をもっている。
まず1学年目は骨のつき方、そして名称、2学年目は骨の上に付く筋肉、名称、内臓等を勉強する。
3学年以降は表情学というのがあった。人間の顔の表情がどういう筋肉の動きで表されるかというものだ。
私は能面の研究をしてみた。
そして皆様はここで気づかれたと思う。そう、解剖学はルネサンス文化から来ている。
万能の天才と言われたあのレオナルド ダ ヴィンチは人間の内部に大変興味があったようで多くののデッサンを残している。
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そしてこれをそのまま再現したのがイタリアで最もアカデミックで権威があるとされる国立美術学院の授業なのだ。
ルネサンス文化の根幹にはプラトンなどに代表されるギリシャ哲学への回帰がある。そしてその理論は後の西洋文化に大きな影響を与えたのである。
芸術創造も理論構築から始まるというところが日本、東洋の芸術との大きな違いだろう。
多彩な才能があったレオナルドは楽器演奏や作曲にも長けていた。
これはあまり傑作だとは思えないが紹介しておきます。
『女性の日』の本当の意味
3月8日はイタリアでは『女性の日』でミモザの花を女性に送ります。街中黄色に色づきます。
これは『国際女性デー』としても世界的なもののようです。
「 1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%83%87%E3%83%BC
ただイタリアでは他の意味あいで知られています。
「 トライアングル・シャツウェスト工場火災(英語: Triangle Shirtwaist Factory fire)とは、1911年3月25日にニューヨーク市マンハッタンで発生した火災であり、町の歴史の中で死者数が最多の産業災害(英語版)かつ、アメリカ史で死者数が最多の事故の1つである。火災により縫製工146人(女性123人、男性23人)が[1] 、火災や煙の吸引、または転落、飛び降りにより死亡した。犠牲者の大半は16歳から23歳までの近年のユダヤ人・イタリア人の移民女性であった。」
犠牲者の大半がイタリアから移民の女性達であったため、イタリアで慰霊のために行われていたものが、いつか上記の女性参政権の運動と重なってしまったようです。日付けは違いますが同じニューヨークであった出来事だったということもあったのではないかと思われます。
さて、このことを学校では、女性、移民、貧しき労働者という何重もの意味での弱い立場の人々の悲劇を忘れてはいけないという意味合いで学びます。
「 暁と夜 」 30F (91x65,2cm) 岩・泥絵具と金箔
ゆっくりと進む方が良い時もある(と思いたい。)
もともと手が遅い上、日本画は大変手間のかかる材料を使うので、いつも作品は遅々として進まない。
この冬はイタリアは記録的な寒さで、仕事場でも手がかじかみ、風邪もなかなか治らなくて辛い時期を過ごした。
ようやく今、平行して進めている作品のいくつかが箔を置く段階になりつつある。
箔のあかしが終わり、これからいよいよ画面に箔を置いていく。もっとも神経が尖る作業である。私は金箔は純金箔を使うので失敗は許されない。笑
箔は大変扱いの難しい画材である。ここでは技法の詳しい説明は省くことにする。
金箔の下にはこういう絵具が塗り重ねられている。
(ちなみに銀箔の下には寒色系の絵具を置く。)
日本画で白色といえば「胡粉」。必ず、すり鉢で擦り砕いて使う。これも扱いの難しい絵具の一つである。
膠で耳たぶほどの固さにし、しっかりと練る。
水で薄め必要であれば更に膠をつぎ足す。滑らかな生クリームのような感じになる。
こうやって描いた絵がこれ。
背景は金箔で、蓮華の花は胡粉の白です。(ピンぼけで残念。)
手間をかけてコツコツと積み上げていくものだからこそ、味わい深いものになることを信じて、今日もぼつぼつとやることにしよう。
力は弱さの中で発揮される。
昨日からの急激な冷え込みで路上生活者の人が亡くなったと聞き胸が痛む。
だいぶ以前になるが、友人に勧められて本田哲郎氏の『釜ヶ崎と福音ー神は貧しく小さくされた者と共に』を読んだ。
細かい内容は省略するが、私はキリスト教文化に暮らす中で、消化不良的なものを感じていた。
しかしこの書を読んでストンと落ちた。キリスト教に対する先入観を打ち破ってくれた。
アイヘンバーグ作『炊き出しの列に並ぶイエス』
この絵を見て欲しい。イエスはサービスする側ではなく、サービスされる側にいるというのだ。
つまり、弱者として生まれたイエスは常に弱者として生き、その側から声を発した。
上から目線で教えを垂れる側ではないのだ。
連日の寒さの中、イタリアでは路上生活者への支援の呼びかけと
ニュースではその甲斐もなく亡くなった方についての報道がなされる。
ふと、日本ではそんなことが報道されもしないのではないかと気になった。
http://ameblo.jp/jamannzu/entry-12069255775.html
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芸術作品の修復 3
一流の修復を行うには、ただ作品の表面を見るのではなく、その中に多くの事柄を発見し、
最良の方法を導き出すセンスが必要だと思う。
対処療法ではなく、将来に渡り、その作品が持つ力を保ち続けるようにしなくてはいけないのです。
チェーザレ・ブランディが言いたかった、<芸術作品の潜在的調和unità potenziale >とはこのことだと思います。
大きな美術館になると所蔵作品の修復が終わった後に必ず修復レポートというのが発刊される。
実はこれは、ただの修復レポートなんていうものではないのです。
後進の人達の研究のために非常に役立っているのです。
ウフィツィ美術館より出版された、収蔵作品のジォット作「オッニサンティのマエスタ」分析・修復レポート。
Giotto "Maestà d'Ognissanti "
内容は17人の研究・修復家による各分野からのこの作品に関する論文集です。
少し内容を紹介すると…
・この作品が置かれていたオッ二サンティ教会の内部構造と、どういう配置で、他のどのような作品と共に飾られていたか。←建築・インテリア学
・作品に使われている色彩の意味と図像学について。
・オッニサンティ教会を設立したウミリアーティ会のフィレンツェへの定住について。←歴史
・ 作品の木製の支柱について(どんな樹が使われ、どいう風に組み合わされて、どういう状態等々)←植物学と構造学
・作品の顔料に含まれている有機物質について←化学
・作品像の診断学
等々...
まだまだありますが専門的な事柄なので省きます。
このようにひとつの作品の修復を実行することによって多くの事実が明らかになります。
本題からは外れますが、
私が個人的に興味深かったのは、額縁の部分やマドンナや天使の光輪部分に東洋系言語の文字が装飾として使われており、
そしてマドンナの顔が東洋人的特徴を持った顔立ちだというような事を指摘している論文でした。
これは我見ですが、当時は私達が想像する以上に東洋との交流が盛んであったのではないか?と思うのです。
このことについてはまた別の機会に言及したいと思います。
続く。
夜のしじまに
10月の最終日曜日に時間が1時間ずれて冬時間となりました。
ヨーロッパは緯度が高いので、こんな南イタリアでも夕方もう真っ暗になります。長い冬の訪れです。
初めて過ごしたイタリアの冬のことは今も忘れることは出来ません。
『夜のしじまに』 0F(14x18cm) 岩・泥絵具と銀箔
以前フェイスブックに投稿した拙文
「20数年前シエナに住んでいた頃、電化製品の無い生活を送った。
一番困ったのは電話が無いことだった。
それで毎日夜9時過ぎに一番近くの公衆電話から友人たちに連絡を取ることにした。Duomo(町で一番大きい教会)の裏に住んでいたので、そこの付属の病院のロビーまで電話をかけに行っていた。
その時に見上げた夜空とDuomoの美しかったこと。最高に贅沢な日々を過ごしていたのかもしれない。」
夜空に瞬く星々を見上げると、バッハが眠れない伯爵の為に作ったといわれるこの曲を思い出します。
ゴールドベルグ変奏曲 (グレン・グールド演奏)
昔からずーっとグレン・グールドの演奏を聴いていた。彼の、時には激しく、弾きながらハモったり唸ったりする音まで入っている録音でした。
彼は若い時から注目されたピアニストだったけど、あるとき演奏会の為に曲を練習して喝采を浴びて…という生活に嫌気がさした。それからは自分のやりたい曲を、発表の場は録音だけというふうにしたそうです。残念なことに早逝してしまった。
良いも悪いも個性的な演奏ですね。
ある友人が、イタリア人ピアニストのマリア・ティーポの演奏が良いよ、ということでそれも聴くようになった。全然違っていて面白いです。
マリア・ティーポの演奏